檜山城跡

 

 能代市檜山地区は、後に戦国大名に発展する檜山安東氏の本拠地となった室町時代の中ごろから、佐竹氏の家臣多賀谷氏が所預(ところあずかり)として治めた江戸時代の終わりまで、約400年以上にわたって能代山本地方の中心地でした。そのため両氏に関連する遺跡や神社仏閣、民俗芸能などの文化が豊富に残っています。また、地区を貫く江戸時代の羽州街道は、一里塚や松並木などの史跡とともによく保存され、当時の風情を感じさせてくれます。いにしえの風が吹く街・・・・・檜山。

桧山一望イメージ

 

 

城跡

檜山安東氏城館跡(国指定史跡)
 檜山城は、中世に秋田県北部一帯で勢力を張り、後に戦国大名に発展し北羽に名を馳せた檜山安東氏の居城です。安東忠季によって明応4(1495)年に完成されたといわれ、馬蹄形の尾根全体を天然の要害とした山城です。近世の郭にみられるような天守閣や石垣はありませんが、曲輪、腰曲輪、堀切などの遺構を随所にみることができます。

 

檜山安東氏城館跡 大館跡(国指定史跡)
 大館跡は檜山城の北西にあり、檜山城跡の支城と考えられています。昭和46(1971)年から6次にわたって実施された発掘調査の結果、中世の館跡と古代の集落跡が重複している遺跡であることが明らかになりました。大館跡は、「元慶の乱」(878年)の際に政府が築いた「野代営」ではないかといわれてきましたが、この調査では確認できませんでした。

城跡

 城跡


城跡
 

 


檜山安東氏城館跡茶臼館跡(国定指定史跡)
 茶臼館は、檜山城の西に位置する支城と考えられていて、台地状の曲輪を区画する堀切や、腰曲輪がよく残っています。ここには大浦氏に追われた津軽の北畠氏が住んだとも言われています。

 

檜山安東氏城館跡国清寺跡
 国清寺は檜山城跡の北東に位置し、永世元(1504)年ころ安東忠季によって創建されたといわれる安東氏の菩提寺です。関ヶ原の戦いのあと、安東氏が常陸国宍戸に移されると次第に廃寺の運命をたどりますが、現在も水田の中に残るイチョウの古木が当時を偲ばせています。



 城跡

首塚      浄明寺

 

浄明寺(山門:県指定文化財)
 浄明寺は永正年間(1504〜1521)に創建された古寺で、開基西道は安東氏の親族とも、また四世成就坊は安東実季の次男であるともいわれる、檜山安東氏にゆかりのある寺院です。
 この浄明寺の山門は、檜山城から払い下げられた「城下がりの門」といわれてきましたが、平成 7年の保存修理工事の際に寛永11(1634)年3月17日に建立されたことが明らかになりました。建築年代が明らかな薬医門としては県内最古、東北でも2番目に古く、桃山様式を残す貴重な建築物といえます。
 そのほか浄明寺には能代指定文化財4件のほか、安東愛季によって謀殺された浅利勝頼の首を葬ったとされる首塚があります。

 

立山(大森館跡)
 檜山城跡の南に位置し、天正17(1589)年に一族の湊安東道季との間で争われた「湊合戦」の際に檜山方の前進基地になったと考えられる砦跡です。「立山」は「館山」から転じたものでしょう。

立山




楞厳院

 


楞厳院 
 その昔は天台宗の寺院でしたが、安東舜季が父尋季の菩提寺として曹洞宗に改め、天文年間に開基したと伝えられています。

 


母体八幡神社
 母体の八幡神社は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宇佐八幡宮の神を祀ったものといわれ、陳札によると元亀3(1572)年に安東愛季が再興したとあります。ここは、檜山城の鬼門(北東の角)にあたり、湊安東氏を併合した愛季が武運長久を願って再建したものと考えられます。

 


母体八幡神社



絵馬

釣潟神社

 釣潟神社
 仁寿年間に慈覚大使によって開かれた広大寺が始まりといわれ、安東愛季によって手厚く庇護されました。このことは愛季が、奉納した絵馬(能代市指定文化財)が残されていることからもわかります。

 

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